ライターという仕事の本質はいったい何なのだろう?
ときおり疑問に思いながら毎日記事を書いている。
ライターを始めた当初は完全に、お金稼ぎの手段だった。
当時私は何社目かの企業で会社員をしながら、どうにもならない不満を抱えていて、その解決のために会社員の枠を飛び出すことにした。
(こう書くと何やらすごい理由がありそうなのですが、在宅ワークなら通勤いらないし、子供できても育児と両立できるし、収入の天井がないし、めっちゃいいじゃん!と思っただけです。笑)
記事は前職で書いたことがあった。
1記事書いてみて「意外に書けるな」と思い、10記事書くころには「わーい、楽しい」と感じていた。
周囲からの勧めもあり、自然な流れでライターを始めた。
低単価案件をひたすら書いて、その実績を元に単価を上げていった。
途中で妊娠がわかり、兼業していた飲食店の仕事ができなくなって、ガチで取り組むようになった。
始めて6ヶ月ほどしたら、事務系の会社員くらいの収入は得られるようになり、取引先も固定の数社で安定してきたので、わりと平穏に仕事ができている。
よく書いているのは金融記事とインタビュー記事。
金融記事は、とにかく正しい情報をわかりやすく伝えることに注力している。
たまに「意見も書いてください」と言われるので、そのときだけ色を出す。
Web記事はSEOありきなので、タイトル・見出しのキーワードと共起語だけは特に指示されずとも入れるようにしている。
金融記事を書くようになって、記事を届ける人のことを考えるようになった。
お金の知識はあればあるほど良い。ありすぎて困るという人はゼロに近いだろう。
ペルソナに正確な情報がまっすぐ伝われば確実に貢献でき、あいまいな情報を出せば不利益になる可能性が高い。
だから正確な記事を書こうと、少しだけプロ意識のようなものが芽生えた。
インタビュー記事は最初とても苦労した。
わたしは取材の文字起こしをもらって記事を起こすことが多いのだが、文字起こしから読み取ったことをそのまま書くと、わけのわからない文章ができあがる。
話し言葉を書き言葉に変換することを覚えるまでに、10記事くらいはかかったと思う。
次に課題となったのは、記事の構成。
インタビューの流れそのままに記事にしたら、スムーズだがのっぺりとした文章になることが多くて、書いている時点で「この記事面白くない」と思った。
手を入れてくれた編集者に、構成によってメリハリをつけることを教えてもらった。
最近のテーマは、インタビューされたインタビュイーの意図を伝えること。
文字起こしそのままの文章は、インタビュイーの本意ではないことや、誤ったデータの場合もある。
なぜならインタビュイーは人間なので、言葉や情報を間違えることもあるし、言語表現が正確でないこともあるからだ。
だから、文字起こし全体から浮かび上がるインタビュイーの意図、本当はこれを伝えたいのでは? と感じる内容を、原稿に反映させるようにしている。
インタビュー記事に本気になってから、記事にされる側の気持ちを100%代弁しようと思うようになった。
インタビュイーが完成稿を読んで「そうそう、これが言いたかったのよ!なんでわかったの?エスパーなの?」と言われるようになるのが目標。
わたしは個人で仕事をしているが、ネット上でつながった仕事仲間やライター仲間が何人かいる。
彼らから教えてもらったことは数知れず、ときに先生・ときに友達。
中には、文章を自己表現の場として捉えている人もいる。
書くことが生きることになっている人も見た。
もはやライターというより、作家・芸術家に近いんじゃないかなと思う。
経験談を長々と書いてしまったが、ライターという仕事に必要な要素をまとめてみよう。
- 基本的・応用的な文章力
- 正確に読み取る読解力
- リサーチ力
- 表現力
- 企画・構成力
- コミュニケーション力
この記事ではほとんど触れていないが、以下の要素もライター業を継続するために必要だと思う。
- 営業力・アピール力
- スケジュール管理能力
- 自己管理能力
- 向上心・やる気
- タフな精神
必要な要素はもっとあると思う。これらを全部網羅すれば完璧なライターになれるはずだ。
ライターとは、文筆家であり営業マンであり、プロデューサー、マネージャー、責任者、そして芸術家……。
もはや、何でも屋さんである。
すべての能力を完璧に揃えようとしたらおそらく潰れるし、完璧になったところで空虚な気持ちになる気がしている。
それよりも、自分がどんなライターになりたいのか、ライターという職業を使って何を成したいのか、の方が大切ではないだろうか?
他人から見た完璧さよりも「自分がなりたい自分」の方が、よっぽど自分を満たすと思う。
(そう思うようになった理由はまた今度書きます。)
ではわたしはどんなライターになりたいのか?
しばらくの目標は、取材される側と記事を読む側の橋渡しができるライター。
その橋は、不安定で今にも壊れそうな吊り橋から、江戸時代に庶民の往来を助けたような木造の橋くらいにはなったかなと思う。
今でも、文字起こしの記述に引っ張られることは多々あるし、わけのわからない構成が錬成されたり、〆切に追われて志半ばで提出したりするときもあるので、偉そうなことは何も言えない。
淡々とPCに向かいながら、その日のベストを尽くすだけである。
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