金太郎飴みたいな記事を書きたくない、と思ったら読むコラム

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ライターとして日々仕事に追われていると「もう記事を量産したくない……」「この記事、私じゃなくて誰が書いても一緒じゃない?」と思うことはありませんか?

ありますよね〜。あるある〜〜。

そこで私が「こうしたら脱・金太郎飴できるんじゃね?」と思って実践していることを書き出してみます。

これを読んだら脱・金太郎飴できるかも!?

休憩のお供にどうぞ〜!

SEO記事は「金太郎飴」で正解っちゃ正解

ライターにもよりますが、多かれ少なかれ一定割合存在するのがSEO記事。

SEO記事は、すでにサイトのトンマナやレギュレーションが決まっていることが多いので、見事に金太郎飴のような記事が生み出されやすいと思います。

でもSEOは、Googleに評価されている上位記事の内容を真似てナンボというか、上位記事の内容を網羅しつつさらに一手を加えるイメージ。

よって私は、金太郎飴のような記事がある意味「正解」なんじゃないかなと解釈しています。

脱・金太郎飴SEO記事するなら「企画・構成をやりきる」

ではその金太郎飴SEO記事をどうブラッシュアップしたらいいのか?

個人的には、企画と構成を死ぬほど工夫したらいいのではないかと考えています。

一番入れやすいのは、自分なりの体験談やノウハウ。

もちろん独りよがりな内容になっていないか、事実と乖離していないかを確認するのは必要です。

その上で、自分にしかないオリジナリティを存分に発揮したら、脱金太郎飴できるのではないでしょうか?

またライターだけの判断では難しいですが、以下も取り組む価値はあると思います。

  • SEO記事の中に取材を入れる
  • クライアントに口コミをラン〇ーズで集めてもらって挿入する
  • 専門家に寄稿してもらう

こうやって企画から考え始めたら、なんか楽しくなりません?

なりません?そうですか……。

取材記事の「金太郎飴化」を感じたら、視座を上げる

私はSEO記事と平行して取材記事の執筆も行っているのですが、最近自分の取材記事に「金太郎飴っぽさ」を感じていたんです。

こんな内容の記事、前に書いたな……。みたいな。

もちろん取材はしっかりやっているし、クライアントからもおそらく満足はされていて、問題はないんです。

でも「問題はない」って問題じゃないですか?

無難。無難すぎる。

原稿の「無難さ」に気づいたとき、一気に「やばい」という気持ちが広がりました。

自分の原稿を読んで既視感を覚えたら、それは改善すべきタイミングが来たってことだと思います。

少しだけ視野を広げて、しかるべき勉強をして、自分の視座を一段上げたら、もっと見える世界は変わるはず。

取材記事は自分というフィルターがかなり影響すると思うので、この視座をコントロールしていきたいなと思っています。

ライターって「変化の生き物」では?

私がライターになってから3年以上経つのですが、自分の役割や立場が変わることで、見える景色が大きく変化するのを体感しています。

ライターはどこか「変化の生き物」で、常に変化して成長しているからこそ、その変化が仕事の幅を広げることにつながると思うんですよね。

ただ一方で「自分の中にある変わらないもの」を大切に守っていることも大事。

この「変」と「不変」のあやういバランスを取りながら仕事をしていたら、気づけば「脱・金太郎飴」できるかも?

最後までお読みいただきありがとうございました!今日もお仕事頑張りましょう〜!