ライターは下請けだ、という考えは忘却の彼方に捨て置きたいと思う

2020年の春は、迷惑なウイルスのせいでかなり荒れ狂っている。

ライター仲間からは「仕事がなくなったらどうしよう」という言葉が聞こえてくるし、私もその不安を感じる。

そもそもライター仕事の多くは、クライアントありきの下請け業。クライアント依存からは逃れられない。

だから将来的にはライターを雇う側に回ろう。もしくは別事業でいいから、何かを立ち上げて大きく活躍したい。とか考えている。

でもどうやって? 何やるの? あなた本当は何者になりたいの?

そこまで考え出した日にゃ、夜も眠れない。

だからこじれた考えを少し整理してみた。これはその記録である。

そもそもなぜ「何者」になりたいの?

25歳を過ぎたころから銀行員以外の選択肢を手に入れたいと考え始め、気づいたら「起業なんていいかも」とか思っていた。

思った理由は単純に「かっこいいから」、あと「大きな実績を作れそうだったから」。うん、よく意味がわからない理由。結局今のところ起業には至っていない。

一人で仕事したい、でも一人でいたくない

働き方についてはかなり考えて、結果今の在宅ライターを選んだ。

好きなときに好きな場所で好きな人と働く。これが実現できたことには満足している。

元々人は大好きだ。人という生き物に興味がありすぎて、一時期カウンセラーを志していたくらい。

でもときに人間関係が面倒になる。特に仕事が関わるとかなりこじれることもあったので、一人で仕事ができるライターは気が楽である。

ただ唯一の問題は、仕事を誰かからもらわなければいけないということ。

それがしんどいならアフィリエイターやブロガーになればいいが、踏み切れないのは完全なる孤独が寂しいからかもしれない。

一人で仕事はしたいけれど週に2日くらいは人と仕事の話をしたいし、月に3回くらいは誰かとお茶しに行きたい。年に数回はクライアントやライター仲間と直接会って話したい。そんな感覚で生きている。

みんな結局、誰かのお金で生きている

このコロナ禍で「仕事が減ったらどうしよう」「ライター以外に転身すべきか」とか考えていたけれど、もし今起業して「仕事を作る側」である企業になったとしよう。

そう、仕事をもらう側から作る側へ。あぁかっこいい。

でも自分で商品やサービスを作ったとしても、買い手から対価をもらわなければ潰れる。

これってライターと何が違うのか?

たしかに「下請け」ではないけれど、他者がいないと成り立たない点では同じじゃない?

そうか、人はそれぞれ何かしらの仕事をしていて、その対価であるお金を誰かからもらって生きている。それは個人でも企業でも同じなんだ。

そんな当たり前のことが、なぜか今ごろ腑に落ちてしまった。

みんな結局、誰かのお金で生きている。

取ったお金を、誰に還元しよう

じゃあ私は今後、誰からお金をもらおうか? と考えたけれど、別に取り立てたいわけじゃない。

だったら、もらったお金を誰に与えよう? 私が誰かから受け取ったお金で、次は誰を幸せにする?

今まではライターとして、記事を発注した会社から編プロやクラウドソーシング経由でお金をもらっていた。

還元先はその発注元の企業。あと記事を読んだ誰かの役に立つくらい。

あれ? もしかして誰も幸せにしていない? それはさみしいな。ひとりよがりじゃないか。

ということは、仕事でもっと直接的に誰かのお役に立てたら、自分のやっていることに対する不安が減るのかもしれないな。

生きていくための「ライスワーク」だけだと、そろそろつらいみたいだ。

ステージを一段上げるときなのかもしれない。

おわりに

つらつらと書いたが、言いたいのは「ライターが下請けだから不安」というわけじゃなかった、ということだ。

個人だって企業だって、誰かから仕事やお金をもらって成り立っているという、とても当たり前のことに今更気づいたってこと。

要はあれだ。「自分だけじゃない」ってやつだ。

そんなありきたりな言葉を置いておわりにします。

※この記事は以前noteに掲載していたものです。

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